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家づくりの想い/社長の生い立ち

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創業者の家づくりへの想い

創業者である父は昭和8年に生まれ、
10歳の時に父親を亡くしています。

 

 

 

母親と3人の弟妹の5人で暮らす中、
戦時中に無収入に。

 

家賃を払うことができず、
当時住んでいた長屋から追い出されそうになるも、
周囲の助けで何とか免れることができた。

 

けれどその後も辛く苦しい生活が続き、
父は15歳で働きに出ることに。

 

何の仕事をしようかと考えた時、
長屋を追い出されそうになった時の辛い思いが浮かび、
家族のしあわせのよりどころとなる家を建てる職業の大工を選んだ。

 

それから大工見習いとして大阪で修行を積んだ後、
昭和30年に地元坂出に戻って住宅建築で起業した。

 

 

 

父が他界した後、
叔母に聞いて初めてこのことを知りました。

 

 

家づくりに携わる者は必ず【想い】を持っていなければならない

 

 

父の話を聞いて改めて思いました。

 

建てているのは家ではなく
笑顔あふれる家族のしあわせの舞台なんだと。

 

その想いを胸に、

 

 

常に感謝の気持ちと向上心を持ち
信頼される人間
信頼される会社になる事

 

 

これが私個人、
そして大塚建設の理念です。

社長の生い立ち / 幼少期に感じた運命

1967年1月 香川県坂出市で大塚家の次男として誕生。

 

よく父の車に乗せられて移動していたからか、

 

 

「あの車は○○、この車は△△…」

 

 

と、車の名前をたくさん覚え、
親は我が子は天才だと思っていたそうです(笑)

 

父は大工として修行した後、
地元坂出市で建設会社を起業。

 

当時は地元商店街の店舗を多く建てさせてもらっていたため、
それらのお店によく連れて行ってくれて、
外食をしたり、おもちゃを買ってもらったりと、
結構ぜいたくをさせてもらっていました。

 

そんな日々の中、
小学3年生の時の出来事で、
しっかり記憶に残っていることがあります。

 

 

将来なりたい仕事

 

 

というテーマで作文する授業のこと。

 

私はその当時流行っていた漫画の影響で、

 

 

車のレーサーになりたい

 

 

と書きました。

 

しかし担任の先生に、

 

 

家業を継ぐように書き直しなさい

 

 

と言われたのです。

 

父の会社は当時、
坂出市で一番多く家を建てているほど経営状態がよく、
先生もそのことを知っていたからなのでしょうか。

 

結局無理やり将来の夢を書き直しさせられました。

 

このことは子どもながらに運命を感じた出来事でした。

勉学一筋の学生時代

私自身はさほど勉学に燃えていたわけではありませんでしたが、
父に勧められて隣町の中高一貫の進学校に入学することに。

 

進学校ならではの勉学一筋といった感じで、
中高時代は自分なりに一生懸命勉学に励みました。

 

高校3年生になり大学受験を迎えた時、
目指していた大学があったのですが、

 

 

「絶対に無理だから志望校のランクを下げろ」

 

 

と先生に言われました。

 

けれどもその言葉に従うことなく強行突破!

 

結果、奇跡的に合格することができたのですが、
何だかその時に人生の幸運の半分を使ったような気がしています……

 

大学で専攻したのは、
建築学科ではなく土木工学科で、
土質の研究室に所属しました。

 

後継ぎを考えれば建築学科に進むのが普通ですが、
製図室にこもって深夜まで図面を描いていた、
疲労困ぱいの上級生を目の当たりにした私はビビってしまったのです。

 

結果的には製図室にこもるか実験室にこもるかの違いでしかなく、
48時間ぶっ続けで実験するなど、
研究・実験に明け暮れる毎日でした。

 

ただ、この安易な選択が後に大きな障害となることに……

修行後に帰郷するも大きな試練が……

そんな大学生活も無事に4年で終えることができ、
社会人デビューへ。

 

同級生は大学院に進学したりスーパーゼネコンに就職したりしましたが、
数年の修行後に家業を継ぐ事が決まっていた私は、
実務を身につけることを目的に大学の先輩が経営していた小規模のゼネコンに就職。

 

実際の仕事が始まると、
勉学一筋できた私は慣れない肉体労働でヘトヘト。

 

それから夜遅くまでの図面描き。

 

先輩や職人さんには怒られてばかり。
でも楽しく、
修行期間と決めていた3年間があっという間に過ぎました。

 

1992年に坂出に帰郷。

 

父の会社に入社すると、
現場に出る一方で営業も担当することに。

 

現場とは異なり、
多くのライバルがいる営業の難しさを知りました。

 

そして仕事をしながら、
一級建築士の資格取得のための勉強も開始。

 

ここで大きな壁にぶち当たります。

 

建築士試験は図面を描くスピードが勝負の決め手ですが、
大学時代に図面を描いていない私はとにかく遅い!

 

安易に学科選択をした付けがここに廻ってきました。

 

学科試験はらくらくパスするものの、
何度受験しても製図が合格しない。

 

結果、6度のチャレンジ、
つまり合格まで6年もかかってしまいました。

 

ただ、結婚前に合格できたのは幸い。

 

建築士受験勉強は相当の時間を取られるので、
結婚前 、子どもができる前でないと、
合格は難しいと言われているからです。

 

一方その頃会社では後継ぎの準備も進み、
様々な経営判断は父から任されていました。

 

とはいえ、ある意味で温室育ちの私と、
小さい頃から苦労を重ねてきた父との違いなのか、
意見が合わないことも多々あり、
口論になる事もしばしば……

 

最終的には私の考えを通してもらっていましたが、
後の結果をみると父の方が正しかったということも多々ありました。

 

私が社長に就任したのは38歳の時で、
父は72歳になっていました。

 

父としてはもう少し早く交代したかったようですが、
私が地域のボランティア活動に力を注いでいたことを尊重してくれて、
それがひと段落着くのを待っていてくれたようです。

結婚し幸せな家族生活を実感する一方で

こんな私にも生涯を共にしてくれるという奇特な女性が現れ、
30歳で結婚。

 

その後、2人の男の子に恵まれ、
幸せな家族生活を実感していました。

 

ただ、仕事の方は建設業が冬の時代と言われ、
公共工事、ビル、マンションなど、
比較的大きな工事をメインにしていた当社は、
経営があまり順調ではありませんでした。

 

おまけにどんなに一生懸命やっても、
大型の工事はお客様に感謝のお言葉をいただくことがほとんどありません。

 

ハッキリ言って仕事が面白くありませんでした。

 

建設業界に入って20年。

 

思い返してみると、
楽しく仕事ができ、
お客様に感謝のお言葉をいただいたことがあるのは、
個人のお客様の住宅建築しかありませんでした。

 

 

やりがいのある建築とは何だろうか?

 

 

そう考え始め、

 

 

お客様の笑顔が見える建築

 

 

これを自分の仕事の中心に据えていこうと決心しました。

笑顔が見える住宅建築に向かって

しかし決心したところで、
すぐに仕事が入ってくるわけではありません。

 

まずは様々な方に紹介をお願いしてまわる中、
幸運にも従業員のお知り合いの住宅を、
計画させていただくことになりました。

 

打ち合わせを重ねて間取りなどのプランも固まり、
金額にもご納得いただけ、
ご契約くださることに。

 

しかし……

 

住宅ローンをご利用されるために、
銀行をいくつも廻ったのですが、
どの銀行も希望金額の借り入れができなかったのです。

 

結果、初めて顔を合わせてから6カ月間、
お客様の時間を無駄にしてしまいました。

 

いくら良い建物をプランしても、
資金計画が成り立たなくては意味がない。

 

 

無理のない安心な資金計画こそ家づくりの重要な要素

 

 

そのことを痛感させられた私は、
たくさんの本を読み、
色々なセミナーに参加し、
有名なファイナンシャルプランナーの下で学び、

 

 

お客様が安心して家づくりができる【お金の考え方】

 

 

にたどり着くことができました。

 

その考え方は今でも活きています。

あるお客様との出会い

2009年、ホームページで弊社を見つけられ、
興味を持ってくださったT様が来社されました。

 

当時はお見せできる家やモデルハウスもなかったため、
来社された時には、
弊社の家づくりに対する考え方を伝えることしかできませんでした。

 

けれども、

 

 

「検討したいのでプランと見積もりをお願いします」

 

 

と、ご依頼くださったのです。

 

そして数回のお打合せの後、

 

 

「大塚建設さんに家づくりをお願いしたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。」

 

 

とのお言葉を頂くことができました。

 

これが地縁、血縁のないお客様からの初めてのご契約でした。

 

その後は工事も順調に進み、
無事に家が完成してお引渡し。

 

全て完了し、
帰ろうとした時、

 

 

「実は別で検討していた他社の方が見積もりが安かったんですよ。」

 

「だけど、初めてお会いした帰りの車の中で、大塚さんにお願いしようと決 めたんです。」

 

 

そう仰ってくださったのです。

 

T様に感謝するとともに、

 

 

家づくりは信頼が全てなんだ

 

 

と感じた瞬間でした。

別れと後悔

仕事も軌道に乗り始め、
忙しい毎日を過ごす中、
家庭で問題が起きていました。

 

 

妻の病気が発覚

 

 

何回かの手術の後、
お医者さんに言われました。

 

 

「回復の見込みは薄いです」

 

 

とても後悔しました。

 

悔やんでも悔やみきれません。

 

仕事仕事で充分なことをしてあげられないまま、
最愛の妻との別れが来るなんて……

 

いつかはマイホームと考えてはいましたが、
当時は狭いアパートで家族4人暮らし。

 

妻からマイホームをせがまれたことはありませんでしたが、
建てていれば少しは違った結果があったのかもと……

 

マイホームを持つことイコール家族のしあわせではありませんが、
同じような境遇のご家庭も少なからずある事でしょう。

 

この経験から、

 

 

家族のしあわせを基準にした家づくり

 

 

を意識して仕事に携わるようになりました。

大塚建設株式会社 代表取締役 大塚寿一